おどろいたわけ
忘れられた
とは誰かに忘れられたということなのだけど
ある人の心の中で、私がどのように映り描かれているのか、
それは私の問題というよりも、ある人ご自身の問題と私は認識しているのだろう
だから私にとっては、自分が誰かにどう思われているかということよりも、自分が相手をどう思っていたか、いるか、思っていくのか ということへの関心の方がはるかに比重が重い
自分が誰かにどう思われているか、
私の存在が誰かに忘れられている、あるいは忘れられていくことなど正直、気にかけたことはない....!?
私の内に誰がどのように映っているかということに専心してきたのだろうと思う